ポスト

すでに卑弥呼の身に変化のあったことを思わせる。おそらく卑弥呼の死は、正始六年から同八年の使節派遣までの間と見てよいのであろう。(16) ― とします。うーん、それほど厳密に読んで大丈夫なのか?

メニューを開く

hyena_no_papa@hyena_no

みんなのコメント

メニューを開く

注16はp21 ― 上田正昭『女帝』(講談社「現代新書」、昭和四十六年六月)は、正始八年の記事が遣使の主体を欠くことに着目して卑弥呼他界を予想し、その時期を、倭の難升米が黄幢を賜った正始六年に求められるであろうとしている。 ― 『女帝』は持ってたかなぁ~

hyena_no_papa@hyena_no

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ