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この高松百香という人は、なぜ主張的にも「道長の望月詠は自讃歌ではない」という山本淳子の主張に追随し、また同様にしつこく拙論を剽窃するのかと首を傾げていたのですが、ああ山本氏の「二匹目の泥鰌」狙いかといまさら気づく…でもそれはすでに「二の舞」でしかないと、本人は気づかぬご様子ですね

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拙論「一条天皇の辞世歌」2004年の「新見」 定子が土葬を望んだその理由は従来謎とされているが、一つには、この世に残していく幼い三人の御子たちと彼らを保護する人々を、同じくは京の地にあって、死後も見守らんとする意志によるものではなかったかと思う。(圷美奈子『王朝文学論』収載、392頁)

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