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諸葛亮は225年に至り、王伉,呂凱に報いる意味でも自ら益州南部の平定に乗り出したのであった。ちなみに南蛮とは演義の言葉であり、正史では南中という言葉が使われている。 「七度捕えて七度放す」の七縦七擒の話だが、漢晋春秋や華陽国志に登場する言葉であり、本当に七度捕えたのかは疑問は残る。 pic.twitter.com/vXQgcJ2wQu

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みんなのコメント

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豆知識:諸葛亮の三路部隊の合流地点「滇池」は実は前漢時代の古滇国の核心地帯だった。 「漢滇王印」は「漢委奴国王印」の年代に極めて近い。 南中蜀馬や発達した青銅製錬技術を多く持ち、『三国志』ゲームの武将立ち絵の裸族ではな。 pic.twitter.com/At22tLQdXt

ある国宝と考古学記録bot(動画チャンネル準備中)@Ieei35Spl0hzTSS

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洋の東西問わず史書に出てくる数字は大概誇張という相場

✧ナガール✧🗻🦅🍆@omeganagarl

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春に行って7度捕え7度放して秋に平定 兵士の動員とか、ちょっと無理がある。

ネコスキー@oj5Ws9AGSOKlGuZ

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横山光輝三国志で一番好きなエピソード

齋藤英通@hidemitsuhs

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実際やったのは演義基準のゲームでは雑魚武将扱いされてる張嶷でしたっけ

§北大 輝§@不法凍結(信長の野望出陣微課金勢・DQウォーク課金停止勢)@honda__sado

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