ポスト

ここで金子拓氏が信長の指南役と評した #三条西実澄 が絡む。実澄は #毛利元就 遺詠集『春霞集』への奥書で荘王の「戈を止る」武に言及している。実澄は信長の天下布武も同様に解釈したので、武田信玄の駿河侵攻による帰洛後、官職昇進など信長政権への協力を惜しまなかったのだろう(続

メニューを開く

側近=今川家陰の帝王 嵯峨良蒼樹@SagaraSouju

みんなのコメント

メニューを開く

なお、実澄に良歌を撰んでもらい歌集『桂林集』を成した古賀公方家臣一色直朝も同様の思想を序文で示しており、実澄は歌道を通じて日本各地の武将に「戈を止る」武の思想を普及しようとしていたと言える。実澄は永禄五年(1562)将軍義輝が #今川氏真#家康 への和睦要求にも関わった(続

側近=今川家陰の帝王 嵯峨良蒼樹@SagaraSouju

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ