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→いや~…切支丹だから仏ではない…は分かるがそういう者なのか? ん、んー… 大正時代って最近だよね。 関ケ原の陣跡の解説板にも描かれている小西行長像は武将の肖像画というよりどこか神格化した感じがするよね。 ま、上記の話もあり神として小西神社に祀られているのです。 #ぶらり金吾歴史旅 pic.twitter.com/9DSEVeHfVa
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小西(5/24)の日!! 関ケ原合戦後の小西摂津殿の敗走のお話の纏め。 小西行長殿は関ヶ原本戦より敗走後の方が伝わる話が多い。 相変わらず『こにしたん』は控え目だね。今年も静かにこっそりとお祝いしている。 #ぶらり金吾歴史旅 『小西行長敗走路・小西神社と中山観音寺』 ameblo.jp/kingo-hideaki/…
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ボクの最初の領地である京都は亀岡市にある聖隣寺では毎年6月の第1日曜日に毘沙門天祭並びに信長公忌が行われる。 信長公の四男の秀勝殿が信長公の供養塔を建てたことが縁だがボクが我が子を祀った寺でもある。 明智光秀殿ゆかりの毘沙門天像も奉られている戦国武将に縁深い寺。 #ぶらり金吾歴史旅 pic.twitter.com/BMt9smoxh1
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→長子でもない延由に1万石もの領地を与えようとした兄上(財政事情で5千石になる) 日出藩には豊臣印章も伝わる。 兄上が奉納した鳥居には『木下右衛門太夫豊冨朝臣延俊』とあり「豊臣」ではなく「豊冨」が。 それでも豊臣であった兄上。 木下は豊臣を繋ぐ者。 #木下延俊 #日出 #ぶらり金吾歴史旅 pic.twitter.com/gkdKT39eMk