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貞治仏の中で唯一の阿弥陀如来とされる墓標仏。文化元年(1804)、39歳の作。遠目にも口周りを丸く凹ませる造形と判った。立ち入り禁止で近くでは拝せず。昨年、免許更新の前に作った人生初眼鏡が活躍した(2度目)。今度は双眼鏡を持って行こう。 #一日一貞治 pic.twitter.com/WkzR5sJpj3
墓地入口のお堂にあるお地蔵様。 自分の情報網では製作年代が判らない。画像がアレだが、実際は驚くような状態の良さで、質のいい青石で丁寧に彫られている。2枚目の鑿目など、たまらない。錫杖の一部を彫り抜く等、熱量的には文化初頭並、ただお顔と技術は文政後半みたいな不思議な像。 #一日一貞治 pic.twitter.com/zQdtxTOxTv
海岸寺群はお顔や頭身に結構バラツキがある。勿論そっくり同じ顔にしない、という意図もあるだろうし、貞治と弟子数人の仕事なので、誰がどこまでやったのかも判らない。と、思っていたが、考えたら8年掛かりで約100体なので、その間の作風変遷も結構あったのでは…と今更気づいた。 #一日一貞治 pic.twitter.com/Ihh1EmUuGo
海岸寺行きたいツイートしようと昨年5月末の画像を見たら、ここにもゾウムシが写っていた。結構大型のゾウムシ、名前が知りたい。ゾウムシを前に微笑む観音様は優しい。 #一日一貞治 pic.twitter.com/qtGYLCpHvW
昨日に続き5/30の海岸寺。 この如意輪様の右手首では大型のゾウムシが交尾。膝下には交尾中と、メスを狙う第三者オス?までいる。撮る前には光背の上にも一匹いた。これが本当の子授け観音だ。よく見るとお口にもミノムシ?か地衣類が着いている。色々育ててらっしゃる。 #一日一貞治
貞治の墓標仏。 文化十年(1813)。建福寺群と海岸寺群の中間くらいの造形という印象。 正面に立つと後ろから日が射していて文字通り後光だった。多分一生忘れない光景。 #一日一貞治 pic.twitter.com/iHC7xFuBnl
享和元年(1801)、貞治36歳の作とされる馬頭観音。花崗岩なので風化している。こちらに比べると引用元(2年後)は造形が進化している。この頃の貞治馬頭観音は馬頭の上に穴が空いているような表現なのだが、理由は分からない。 #一日一貞治 pic.twitter.com/3Vj30jaifS
享和三年(1803)、貞治38歳の作とみられる馬頭観音。本人が残した『石仏菩薩細工』に記載があるもの。 一見すると貞治とは判らないが、側面のお顔を目にして「ああ…貞治だ…」と思った(個人の感想)。 #一日一貞治
向かって右が貞治の十一面観音。 享和元年(1801)、36歳の作。本人が記した「石仏菩薩細工」に記載があるもの。こちらを貞治仏と見定めるのは自分には不可能だが、隣の千手観音と比べると造形力が明らかに高い。観音様が一歩踏み出すあの感じがよく出ている。 #一日一貞治 pic.twitter.com/YHaJJITJes
今日は貞治の六字名号塔。 文化十四年(1817)。貞七の塔から46年後、貞治52歳の作。貞七の塔の半分サイズとの事だが、高さ的には半分以上あると思う。同じく可円の書なのでそっくりだ。どちらも彫りが深くて力強い。石工は凄いなあ。仏像からこのような塔、果ては石垣まで組むんだから。 #一日一貞治 pic.twitter.com/aPwwfIZJsi
貞治の祖父「貞七」による六字名号塔。「六"斗"名号塔」と呼ばれる。彫られた文字それぞれに米が一斗入る事からその名がついた。書は京の名僧「可円」。明和八年(1771)。この時貞治は6歳。貞治は文化十四年(1817)に同じ書体で縮小サイズの塔を彫っているが、それはまた今度。 #一日一貞治 #守屋貞七
貞治の祖父「貞七」による六字名号塔。「六"斗"名号塔」と呼ばれる。彫られた文字それぞれに米が一斗入る事からその名がついた。書は京の名僧「可円」。明和八年(1771)。この時貞治は6歳。貞治は文化十四年(1817)に同じ書体で縮小サイズの塔を彫っているが、それはまた今度。 #一日一貞治 #守屋貞七 pic.twitter.com/93MHYRUsZQ
プロが撮った海岸寺のお地蔵様にびびって一日一貞治を忘れるところだった…。RTは昨年5月撮影との事なので、私は昨年7月の同じお地蔵様を貼ります。海岸寺行きたいな…。 #一日一貞治 pic.twitter.com/c6dTVfQ9sZ
文化初頭の作とみられる延命地蔵尊。 こちらも口周りを丸く凹ませたお顔と、この画像には写っていないが、巻き返し蓮弁の座という初期貞治仏の典型例。錫杖の棒部分を彫り抜く(!)など精力的な造形。お顔もたまらない。享和末~文化初頭の貞治仏が最高過ぎてどうしたらいいかわからない。 #一日一貞治 pic.twitter.com/dY9mipfC4E
貞治の祖父「貞七」作の聖観音。 貞治は祖父の仕事から学ぶ事も多かっただろう。花崗岩?なので黒っぽく汚れてしまうのと風化があり、見た目を大きく損なっているが、造形は気品に溢れている。彫りたては白く輝くように美しかったに違いない。 #一日一貞治 #守屋貞七 以下余談 pic.twitter.com/5KPD941z3V
貞治の墓標仏。 基石に没年が2つ刻まれ、片方が享和三年(1803)十月になっている。享和は1804年2月までなので、この年~文化初頭頃の造立と推測する。このお顔に一目惚れした。後年の秀麗なお顔とは大分違うが、言葉に出来ないものを感じる。実際目にすると力強く、気圧される。 #一日一貞治 pic.twitter.com/ClGtBGzThW
光前寺の佉羅陀山地蔵尊。 文化元年(1804)、貞治39歳の作。 こちらも口周りを円形に凹ます造形。 鬱蒼とした境内&背後に水場があるのもあって苔むしている。新緑とのダブル緑できれいだった。元は個人宅所有だったようだが、光前寺へ移管された。 #一日一貞治 pic.twitter.com/zSGj08wpGG
お地蔵様部分アップ。 肌理の整った青石で彫られ、見る限り欠損が無い。文化年間の貞治仏は熱量が違う。彫りが細かい。こちらもお顔が上手く撮れないが、実際は駒ヶ根の丸彫り準胝観音のような目の表情があり心奪われる。全体の彫りも画像では伝わらず悔しい。 #一日一貞治 pic.twitter.com/QsoqsgrKju
昨日の下伊那彷徨より。 佉羅陀山地蔵尊。文化九年(1812)貞治47歳の作。書籍写真等で見てはいたが、衝撃のビジュアル。「貞治は蓮大好き」が己の中でより強固になった。花崗岩の巨大な荷葉座に、青石のお地蔵様が乗る。慌てて車まで引き返し、踏み台を持って戻った。 #一日一貞治
昨日の下伊那彷徨より。 佉羅陀山地蔵尊。文化九年(1812)貞治47歳の作。書籍写真等で見てはいたが、衝撃のビジュアル。「貞治は蓮大好き」が己の中でより強固になった。花崗岩の巨大な荷葉座に、青石のお地蔵様が乗る。慌てて車まで引き返し、踏み台を持って戻った。 #一日一貞治 pic.twitter.com/f1MUyVBf9D
建福寺の願王地蔵尊(願王和尚幼少期ver.)。簡素な彫りなので貞治とは気づかずにいたのだが、先日あらためて拝してやはりいいお顔、と感じた。引用元は貞治渾身の成人ver. #一日一貞治 pic.twitter.com/18q3qZg7Yd
建福寺の願王地蔵尊はお顔が上手く撮れないので、ライトアップの日(このお地蔵様はライトアップされない)にライトを当ててみた。が、上手く撮れなかった。ただ、衣と肌では磨きが明確に違うのがよく判った。お肌ツルツルですね。 #一日一貞治
建福寺群より 無数にある肌色っぽい痕は何だろう?クリーニング時に取れた地衣類の痕(に土埃)か?石仏は置いてある場所の僅かな違いでてきめんに地衣類だらけになるからなあ…。何にしても美しいお顔と眼差し。 #一日一貞治 pic.twitter.com/SRrcMz3cJl
お馴染み、建福寺の佉羅陀山地蔵菩薩…4月のライトアップで感じたんですが、正面の顔と下から(好きなアングル笑)の顔の印象が違って見えてしまう。 下から見ると"おい、下から見んなよ〜"って言ってるみたい…笑 #一日一貞治 #守屋貞治 #伊那びより #石仏 #sekibutsu_butsu pic.twitter.com/Xc8l8R3G1a
建福寺の願王地蔵尊はお顔が上手く撮れないので、ライトアップの日(このお地蔵様はライトアップされない)にライトを当ててみた。が、上手く撮れなかった。ただ、衣と肌では磨きが明確に違うのがよく判った。お肌ツルツルですね。 #一日一貞治 pic.twitter.com/IasppaNwT8
昨日のツイート後に気づいたんだけど、建福寺の願王地蔵尊は覆屋を付けた時かそれ以降にクリーニングしているね。『石仏師守屋貞治』(昭和52年初版)の口絵だと結構地衣類が出ている。硬い高遠石(青石)なのできれいにすれば玉(ぎょく)感が出るなあ。碧くて美しい。 #一日一貞治
貞治の祖父「貞七」作とされる馬頭観音。 元文三年(1738)年。風化しているが、引き締まったお顔や衣紋、しっかりと大地を踏みしめて立つお姿など、さすが貞治の祖父。貞治の墓標仏があるお墓の脇にある。貞治もじいちゃんの「仕事」を目にした事だろう。 #一日一貞治 #守屋貞七 pic.twitter.com/GS7LYclEzM
返信先:@tonchi_jinこちらは高遠石工の守屋貞治作です。特に石仏を得意とし、主に文化文政頃に活躍しました。 #一日一貞治 でしつこく呟いておりますので、ご興味をお持ちでしたらご覧下さい。垂髪を耳に掛けるのは彼の菩薩像では普通にみられますが、あらためて「すごいんだ」と分かりました笑。 pic.twitter.com/Qz4OzJVjbX
文化三年(1806)、41歳の作。 長い眉と口周りを丸く凹ませる初期の特徴がよく出ている。如意輪観音なのにお地蔵様のような親しみ易いお顔。 建福寺群もこの頃から造られ始めた説が最近出たそうだが、お顔は相当違う。何にしても文化年間は貞治の技量が日進月歩だった時期と思う。 #一日一貞治 pic.twitter.com/IOdSnanlZK
自分的最新情報追記 この六地蔵が貞治作とされる根拠は本人が残した「石仏菩薩細工」に記載がある為。 研究者は「違う」と見なす人が多数派。1枚目のみ貞治作と見る人も。 個人的には六地蔵の作者が分業で3人位居そうと思う。お顔が結構バラバラなので。謎の六地蔵。 #一日一貞治 pic.twitter.com/rKVWCkbXVO
建福寺の六地蔵。 寛政4年(推定)貞治28歳の作。 自分が実際目にした中では一番古い貞治仏。同寺の地蔵菩薩(50代作)とはかなり造形が異なる。頭の形から全く違う。いつもよく見えない&上手く撮れない。六地蔵はライトアップされてたかな…?されるようならその時によく見たい。 #一日一貞治
温泉寺の興福寺南円堂 不空羂索観音。 最晩年の作で、こちらが貞治作かも正確には判らない。殆ど弟子の作である可能性もあり、彫りも浅め。晩年作の傾向として、お顔はあまり微笑んでいない。意図的だと感じる。合掌の美しさが際立つ。 #一日一貞治 pic.twitter.com/vF4jORcZVM
海岸寺の興福寺南円堂 不空羂索観音。 建福寺のものとはお顔の印象が大分異なる。建福寺像のどこか人間味が感じられるお顔も魅力的だが、こちらは仏面として完成された感がある。 #一日一貞治
海岸寺の興福寺南円堂 不空羂索観音。 建福寺のものとはお顔の印象が大分異なる。建福寺像のどこか人間味が感じられるお顔も魅力的だが、こちらは仏面として完成された感がある。 #一日一貞治 pic.twitter.com/1475npUE2n
昨日に続き5/30の海岸寺。 この如意輪様の右手首では大型のゾウムシが交尾。膝下には交尾中と、メスを狙う第三者オス?までいる。撮る前には光背の上にも一匹いた。これが本当の子授け観音だ。よく見るとお口にもミノムシ?か地衣類が着いている。色々育ててらっしゃる。 #一日一貞治 pic.twitter.com/qKgekDUePj
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