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7月5日、高齢となった軽井沢行の前に挨拶がてらに芥川龍之介を訪問。翌6日、子連れで軽井沢着。いつもの貸し別荘を借りる。24日、軽井沢にいる犀星に電報が届く。芥川が自宅で服毒自殺をしたという(写真)。急遽上京し、その夜行われた通夜に参列した。ショックは計り知れなかった。#室生犀星 第183話 pic.twitter.com/ZyY0ibMWbG
犀星が芥川を回想文を書いたのは翌昭和3年7月号の「文藝春秋」。「芥川龍之介氏を憶う」と題し「自分はこの友の死後、窃かに文章を丹念する誓を感じ、それを自らの生活の上に実行した」と記す。9月発売の詩集「鶴」の一篇で「その者は長き髪を垂れ暗夜とともに没し行けり」と書く。#室生犀星 第186話 pic.twitter.com/AooQeU4jvY
軽井沢に帰った後の犀星の日記には「8月1日、中央公論、改造の追悼文依頼を断る」「8月2日、文藝春秋、文章倶楽部への追悼文、新潮での追悼座談会を断る」と書かれている。犀星が芥川の死について初めて書いたのは、芥川の死から1年以上たってからだった。#室生犀星 第185話
通夜が終わって明るくなっても犀星は帰ることができなかった。同じ思いの菊池寛(写真)、佐々木茂策、久米正雄らと並んで縁側に座り続けた。傷心のまま、28日に谷中斎場で行われた葬儀にも参列。身も心も疲れ果てて軽井沢に戻った。追悼文を求められたがどれもに応じられなかった。#室生犀星 第184話
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木曜スマイル♪ 笑うパーソナリティー大迫ゆかり😊@osakoyukari テーマは【縁起物】 13時最初 久保田利伸今日の一曲 「GODDESS〜新しい女神〜」 13:45朗読 今月は「母」がキーワード 室生犀星作 子守唄 14:08 【街ナカ☆ハッピーレポート】 ピアノとクラリネットでめぐるパリ音楽紀行について♪
通夜が終わって明るくなっても犀星は帰ることができなかった。同じ思いの菊池寛(写真)、佐々木茂策、久米正雄らと並んで縁側に座り続けた。傷心のまま、28日に谷中斎場で行われた葬儀にも参列。身も心も疲れ果てて軽井沢に戻った。追悼文を求められたがどれもに応じられなかった。#室生犀星 第184話 pic.twitter.com/5kksUWUzEX
7月5日、高齢となった軽井沢行の前に挨拶がてらに芥川龍之介を訪問。翌6日、子連れで軽井沢着。いつもの貸し別荘を借りる。24日、軽井沢にいる犀星に電報が届く。芥川が自宅で服毒自殺をしたという(写真)。急遽上京し、その夜行われた通夜に参列した。ショックは計り知れなかった。#室生犀星 第183話
この年4月2日。徳田秋声の妻の命日にちなんだ「二日会」に出席するため稲垣足穂と秋声宅を訪問。この場で初めて広津和郎(写真)と会いたくさん話をする。5日には「新潮」の合評会に、秋声、宇野浩二、広津らと出席。この日の日記には「うかうかとしゃべりすぎて後悔す」と書いた。#室生犀星 第182話 pic.twitter.com/6tQNDA2etz
津村はこの時、家族と避暑のため兵庫から軽井沢に来ていた。犀星が軽井沢にいることを知り会いに行った。以後、犀星を師と仰ぎ、慶大進学後は「アララギ」、後に堀辰雄・三好達治が始めた「四季」に参加した。犀星は9月11日、長男誕生の報を受け、12日に東京に戻り「朝巳」と命名。#室生犀星 第181話
7月下旬には軽井沢に行く。これまで宿泊していたつるや旅館をやめ、愛宕山麓の貸別荘を借り1カ月以上滞在した。「別荘番のじいやが暇と手間を惜しみなく使って」建てた家だった。この軽井沢滞在中に、後に詩人となる津村信夫(写真)を知る。津村は家族で万平ホテルに滞在していた。#室生犀星 第180話
7月下旬には軽井沢に行く。これまで宿泊していたつるや旅館をやめ、愛宕山麓の貸別荘を借り1カ月以上滞在した。「別荘番のじいやが暇と手間を惜しみなく使って」建てた家だった。この軽井沢滞在中に、後に詩人となる津村信夫(写真)を知る。津村は家族で万平ホテルに滞在していた。#室生犀星 第180話 pic.twitter.com/s9dynZxaDx
庭づくりに着手したのは5月21日。垣根に2日、地ならしに2日、石運びに2日、敷石に2日、木々の植え込みに3日、小川づくりに2~3日かけ、6月10日頃帰京(写真はその庭)。犀星は100坪ほどの庭に多数の木々を植えたが、「どれだけ植えても足りない」と閉口しながら庭づくりを楽しんだ。#室生犀星 第179話 pic.twitter.com/QYVZsSlPem
大正15年5月に犀星は金沢に出かけた。庭づくりのための土地探しのためだ。写真は14日、とみ子宛書簡。なかなか土地は見つからないと書いている。この後、天徳院の土地を借りて、庭づくりに着手。3か月越しの念願だった。石だけで500円分買ったことを手紙でとみ子に報告している。#室生犀星 第178話
YouTube更新しました。 #室生犀星 作『#洋灯はくらいか明るいか』 youtu.be/FdEeewlDW4M 犀星上京当時の東京の様子が興味深い作品です。 東京の印象というのは、今も昔も変わらないかもしれませんね。 #朗読 #読書 pic.twitter.com/ZiuMDpgP7p
大正15年5月に犀星は金沢に出かけた。庭づくりのための土地探しのためだ。写真は14日、とみ子宛書簡。なかなか土地は見つからないと書いている。この後、天徳院の土地を借りて、庭づくりに着手。3か月越しの念願だった。石だけで500円分買ったことを手紙でとみ子に報告している。#室生犀星 第178話 pic.twitter.com/cbX6r7x5UQ
犀星は毎月15日になると、騾馬の若者たちと上野の洋食店「三橋亭」に集まった。この店で飲食しパイプで煙草を吸う会「パイプの会」が開かれたのだ。払いは各自、必ず1本のパイプを持参するのが決まり。犀星はこの場で外国たばこを試すのが好きだった。写真は堀辰雄が愛用した逸品。#室生犀星 第177話 pic.twitter.com/JSiA0OdjYb
犀星宅に集った若き文学者たちが立ち上げた同人誌が「驢馬」(写真は復刻版)。同人費5円では足りない印刷製本代約40円を犀星が負担した。誌名を決めたのは堀辰雄、犀星が能書家の飯島勲に頼んで表紙全面に大きく書いてくれと依頼した。芥川、犀星らが創刊号に1~3句載せている。#室生犀星 第176話 pic.twitter.com/NxZH8vLHQc
この頃、田端の犀星宅には若い文学青年が集まっていた。堀辰雄(写真)、平木二六、中野重治、窪川鶴次郎らに加え、宮木喜久雄、西沢隆二らが出入りしていた。彼らは喜久雄の家で雑誌創刊を話し合う。犀星は彼らの計画を聞かされても口を出さず、彼らに足りない金を出すことにした。#室生犀星 第175話 pic.twitter.com/c0pk4HsryU
12月10日頃、犀星は芥川と連れだって本郷・森川町の徳田秋声(写真)宅を訪ねた。当時の犀星は人を訪ねるのが苦手だったが、この郷土の先輩に対し「初めてお邪魔したが、もっと早くにお目にかかっていればよかったと思うほど楽に話ができた」と随想「私の郷土の先輩」に書いている。#室生犀星 第174話 pic.twitter.com/2SX9vCmTUx
12月6日には金沢にいる時に亡くなった山村暮鳥の追悼会が水戸市で行われ、犀星は朔太郎と共に出席。帰京後の8日、田端大龍寺で暮鳥忌を営み、句会を催した。朔太郎ほか新詩社の仲間の多くが出席。翌年3月大洗市に暮鳥碑建立の計画が持ち上がると、犀星は発起人となり碑文を選んだ。#室生犀星 第173話 pic.twitter.com/1c1NVkYfOJ
10月には一家で金沢に帰省する。部屋を借り、約1カ月滞在し、犀星はこの間習字の勉強をした。借りた家の庭に柿がなり一家で食べまくった。とみ子(写真)は亡くなった父の四十九日に出席。10月26日に帰郷すると、翌27日中央公論の滝田樗陰の訃報を受ける。夜、芥川と弔問に訪れた。#室生犀星 第172話 pic.twitter.com/wARC889pLA
9月3日に詩人の福士幸次郎(写真)が青森から上京し、犀星は芝浦「いけす」で食事を共にする。福士は9月17日に銀座風月堂で開かれ、犀星が発起人になった朔太郎の「純情小曲集」出版記念会にも出席した。柳虹、白鳥省吾、佐藤惣之助、百田宗治ら新詩社の面々に加え辻潤らも出席した。#室生犀星 第171話 pic.twitter.com/uJIxZZ7qS8
家族で花札やってる所に急にお巡りさんがやってきて、建前上は賭博なので慌てて花札を隠す犀星だったが、お巡りさんはコタツでくつろぎ出してしまい…という話はこの部屋ですろうか?花札は犀星が嗜んだ唯一の賭け事で、芥川や堀辰雄、朔太郎らともやってたとか。 #室生犀星 pic.twitter.com/HJdi03H20i
犀星が住む田端の家は借家だったが、犀星は庭づくりを楽しんだ。石を据え竹を植え苔を這わせ池を掘る。芥川が犀星宅を訪ねた時、庭から水の滴る音がする。芥川が理由を尋ねると「つくばい(写真)に水を垂らしている。水を張ったバケツに穴をあけ、管を指して…」と犀星は説明した。#室生犀星 第170話 pic.twitter.com/U09E0yb3dR
8月13日には昨年に続き軽井沢に行く。つるや旅館に滞在。先に来ていた堀辰雄と頻繁に会う。14日には松村みね子が犀星を訪ねて来る。21日には芥川龍之介(写真)も合流。23日には昨年同様に碓氷峠をドライブ。芥川と辰雄が同行した。犀星が軽井沢を発つ前日の24日には朔太郎も来た。#室生犀星 第169話 pic.twitter.com/t9qPEmoeWQ
大正14年4月下旬、犀星は詩話会の仲間と修善寺・湯ヶ島を訪れた。写真はその時の模様を「文章倶楽部」5月号が掲載したもの。朔太郎、佐藤惣之助、白鳥省吾らが参加。犀星はこの写真を見て「下駄が眼鏡をかけているようだ」と不愉快を感じ、6月号で「写真も校正すべきだ」と訴えた。#室生犀星 第168話 pic.twitter.com/oobiuyS6JF
写真を発見したので、芥川が金沢に来るちょっと前の4月12日まで時間を戻します。詩話会の後援会があった翌日、犀星(写真中央)は川路柳虹(左端)、佐藤惣之助(左から2人目)らと山代温泉みやぼ旅館に遊ぶ。翌日、大阪に行くという百田宗治を見送った後、山中温泉まで足を延ばした。#室生犀星 第167話 pic.twitter.com/tkwz2ZZP22
家探しを始めて約1カ月半。犀星は田端608番地に家を定め妻子も呼ぶ。仮住まいである。かつて住んだ田端523番地の家が空いたのは4月。一家は懐かしい家に戻ることができた。このすぐ後、大井町に住んでいた朔太郎が田端31番地に越してくる。2人は毎日のように会い、飲むようになる。#室生犀星 第166話 pic.twitter.com/LAykD08ifo
1年余り金沢で過ごした犀星(写真)は10月頃、東京に戻ることを考え始める。芥川に手紙で上京を告げ、田端の旧居をチェックし、ここに戻ることを決意。不在中に家を貸していた酒井真人の退去も決まる。しかし酒井の退去が遅れ、翌大正14年1月犀星だけが田端に仮寓し、家探しをした。#室生犀星 第165話
1年余り金沢で過ごした犀星(写真)は10月頃、東京に戻ることを考え始める。芥川に手紙で上京を告げ、田端の旧居をチェックし、ここに戻ることを決意。不在中に家を貸していた酒井真人の退去も決まる。しかし酒井の退去が遅れ、翌大正14年1月犀星だけが田端に仮寓し、家探しをした。#室生犀星 第165話 pic.twitter.com/bCZqWVhvDz
9月14日、金沢に高浜虚子(写真)が来た。北声会の重鎮桂井未翁に誘われ、犀星も虚子を囲む句会に参加。犀星は日記に虚子と語り合ったことを記し「骨の髄までの俳人なり」と評した。「高岸寺の庭先の墓標、苔むして置物のごとし」とも。句会の後、甥の悌一と望月で夕飯を食べている。#室生犀星 第164話 pic.twitter.com/VLYNtKXueg
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犀星は軽井沢に14日まで滞在し、夜行で金沢に帰った。つるや滞在中、犀星は金沢で待つ妻とみ子に「雑誌を送ってほしい」とハガキを出している(写真)。「安着」とあるので、到着後まもなく書いたものだろう。書名は「照」。妻には犀星ではなく本名の照道を使っているところがいい。#室生犀星 第163話 pic.twitter.com/7QTn7M4eVt
つるや滞在中に2人は同宿の松村みね子(写真)母娘とも交流した。みね子は本名片山広子。歌人でありアイルランド戯曲の翻訳家でもあった未亡人だ。その清楚な美しさに2人は「くちなし夫人」と名付けた。8月13日にはつるや主人の運転で2人と母娘は碓氷峠に上っり月見を楽しんでいる。#室生犀星 第162話 pic.twitter.com/kxrgSNVz4C
犀星に1日遅れて堀辰雄も合流し3人で夕食をとる。辰雄は1泊しただけで帰京したが犀星は14日まで滞在した。朔太郎の見立てでは、芥川にとって犀星は自分にない自然児的な野生と素朴さがよく、犀星にとって芥川は自分にないインテリさがあり、共に理想的人物とじ合った関係だった。#室生犀星 第161話
犀星に1日遅れて堀辰雄も合流し3人で夕食をとる。辰雄は1泊しただけで帰京したが犀星は14日まで滞在した。朔太郎の見立てでは、芥川にとって犀星は自分にない自然児的な野生と素朴さがよく、犀星にとって芥川は自分にないインテリさがあり、共に理想的人物とじ合った関係だった。#室生犀星 第161話 pic.twitter.com/tTZ6Q4v0Pi