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〈補足〉 菅江真澄も著書『しげき山本』の中で、"七つの座"がある山であることを記録しており、現在も主峰の権現座の山中に残る「岩屋の中の獅子頭」を描いたそうです。 蓑座の展望台からは、能代市二ツ井町の中心部や鷹巣盆地を一望でき、真下には七座神社の鎮守の森が広がっています。#菅江真澄の道 pic.twitter.com/AUW2DQKLBs
《菅江真澄の著書『しげき山本』》 享和2年3月8日に木戸石を出発し、七座山や高岩山、太良鉱山、粕毛川流域、仁鮒周辺(#能代市 二ツ井町 や #藤里町)を歩いた6月18日までの日記。 しげき山本とは、山本郡を夏木立の茂き時に巡ったことから命名したとされている。 #菅江真澄の道 pic.twitter.com/8Oia8YGgUy
今日の一枚。 大間越街道沿いの高台から岩館漁港方面を望む(2024.5.5)。 ここからの風景は菅江真澄もスケッチしており、真澄先生の風景描写の凄さを垣間見れる場所です。 #八峰町 #八森 #菅江真澄の道 #誰かに見せたい景色 ↓過去の関連ポスト twitter.com/tsukinowakuma9… pic.twitter.com/sXcEfFh4AI
《#菅江真澄の道 鰰(はたはた)漁》 享和元(1801)年11月5日、大間越の関所を越えて岩館の浦に出る。 翌6日明け頃、浦人達が起き出して漁に勤しむ様子を 「鰰の網引をするたくさんの小舟が海に乗り出し、荒れに荒れた波間をたやすげに漕ぎまわっている」 と記録、その様子の図絵も残す。 #八峰町 #八森
《#菅江真澄の道 木戸石の渡し》 #北秋田市 の木戸石と増沢を結ぶ阿仁川の渡し。 享和2(1802)年3月8日、菅江真澄は雨上がりの川水が深いので、渡舟でかろうじて木戸石を出発した。 真澄がこの年の春先に藤里町や能代市二ツ井町を巡る旅を記録した著書『しげき山本』はここから始まった。 pic.twitter.com/b9FybPQSSm
《鎧神社》 能代市二ツ井町家後にある神社。 奥洲藤原氏の4代目当主泰衡が源頼朝に追われて逃げ延び、兜神社に兜を置いた後に米代川を渡り、鎧を脱ぎ捨てたといわれる。 泰衡はその後、比内贄柵で家臣河田次郎の裏切りにあって殺害された。 #能代市 #二ツ井町 #菅江真澄の道 twitter.com/tsukinowakuma9… pic.twitter.com/fOha8lBWmS
《兜神社》 #能代市 二ツ井町にある神社。 奥洲藤原氏の4代目当主泰衡が源頼朝に追われて逃げ延びる途中、疲れ果ててこの地に兜を脱ぎ捨てたといわれる。 昭和30年に国道7号線のバイパス工事により、現在の場所に移される。 菅江真澄も訪れ、その謂れを著書『みかべのよろい』に記録。 #菅江真澄の道
《兜神社》 #能代市 二ツ井町にある神社。 奥洲藤原氏の4代目当主泰衡が源頼朝に追われて逃げ延びる途中、疲れ果ててこの地に兜を脱ぎ捨てたといわれる。 昭和30年に国道7号線のバイパス工事により、現在の場所に移される。 菅江真澄も訪れ、その謂れを著書『みかべのよろい』に記録。 #菅江真澄の道 pic.twitter.com/tKToJxsbhr
今日の一枚。 上小阿仁村の七倉神社から森吉山を望む(2024.5.2) 眼下に道の駅かみこあにも見えます。 菅江真澄も訪れ、自身の著書『筆のまにまに』に七倉神社の由来について記録しているそうです。 #上小阿仁村 #森吉山 #菅江真澄の道 #誰かに見せたい景色 pic.twitter.com/6N3XayaOzF
《#菅江真澄の道 笛滝》 享和元(1801)年11月、真澄は鍵懸(かんかけ)という恋い慕う人を思って道祖神に願う風習を行う大木を見た。 その下方には、寝ずに笛を吹いて滝の神に手向けると、必ず面白い曲が吹けて、その道の名人になるという伝説が残る「笛滝」という磯辺に流れる滝があるという。 #八峰町 pic.twitter.com/ZTtxIJWbew
《#菅江真澄の道 汁毛川》 文化4(1807)年8月、かねてより十和田山に登りたいと思っていた真澄は、毛馬内を出発。 その道すがら、汁毛川を渡ったという。 『十曲湖(とわだのうみ)』 川名の由来は、川上に長者の館があって、朝飯夕飯の数多くの鍋を洗うため、いつも水が濁ることから来ている。 #鹿角市 pic.twitter.com/n7vZV4xoJS
【笛滝】 八峰町八森乙の水付近 #菅江真澄の道 『鍵懸』の木がある下方に滝があり、その磯部で一晩じゅう寝ずに笛を吹いて滝の神に手向けると笛の名人になれる霊験を得られると伝わる。神主から笛吹き童子まで笛を吹こうとする人たちは皆ここに来るので『笛滝』と呼んでいる。《雪の道奥雪の出羽路》 pic.twitter.com/i66loEz3UM
【汁毛川】 鹿角市十和田毛馬内下タ道 この川は常に濁っており、それは川上にある館の長者が鍋を洗うためからだという。また、村同士が川を挟んで争い合った時に手裏剣を投げ合っていた『手裡剣川』が訛ったとも。《十曲湖》 実際には上流の鴇鉱山の廃水によって川が汚染されていた。 #菅江真澄の道 pic.twitter.com/3GzU3ReTIR
【桜田山万雄寺跡】 秋田市下北手桜宮ケ沢 文政5年(1822)3月、真澄は明田・横山・大戸へ向かう途中桜山を見て一句詠む(『筆の山口』)。 近年はニュータウンやノースアジア大学など急速に都市化が進んだ町としても知られる。 標柱は見当たりませなんだが土地開発の折に撤去されたか。 #菅江真澄の道 pic.twitter.com/l32qu9pqXK