ポスト

907年秋、大堰川(渡月橋で有名な桂川の上流)に #宇多上皇(40歳)が行幸し歌を読む催しがあった。 この時 #藤原忠平(27歳)が詠んだ「小倉山…」の歌が #百人一首 に採られている。 『#古今和歌集』撰者の #紀貫之#凡河内躬恒 も召されて参会したのだが #壬生忠岑 だけが無位の下級武官であるため同席

メニューを開く
...@wXbRh2LVPABQUk5

985年2月 #円融上皇(25歳)の御遊において 官位に関係なく歌人の歌を鑑賞する趣向の催しが開かれたのだが 粗末な衣服で着席していたた #曾禰好忠(60歳くらい)が 藤原実資と藤原朝光の指図により上皇から遠ざけられた後 追い出され 腹を立てた殿上人達から、多くの見物人の前で暴行を加えられるという出

みんなのコメント

メニューを開く

できなかった。出詠のみ許されたらしい。 もちろん #宇多上皇 による あからさまな差別、分断で露骨な嫌がらせだ。 『#古今和歌集』撰者に、身分に拘らずに #壬生忠岑 を入れた #醍醐天皇(22歳)の意思も無視している。 この大堰川行幸に醍醐天皇は来なかったのだが、宇多上皇への抗議なんじゃないかと

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ